『Orgasm poisoning』


ムサシが宇宙船デビルバッツ号の副操縦士として乗り込むようになってから、すでにかなりの年月が経過している。機長であるヒル魔とは元々知り合いであったが、同じ船で居住を共にするようになってからは、友人を越えた付き合いになった。
むろん、宇宙船がふたりのクルーで飛べるはずもなく、同じ船には航海士、機関士などもいる。いるにはいるが、慢性的に人手不足のデビルバッツ号では、ムサシは整備工をはじめとするほかのもろもろの仕事もまかされて……押し付けられて、いた。もっとも、キャプテンのヒル魔にしてからが八面六臂の活躍ぶりなのだから、文句は言えない。
不足した人手の大部分を代行しているのが、最新式のコンピュータ『ケルベロス』である。現代で望みうる最高のスペックを備え、さらに一流の技術者でもあるヒル魔がこれでもかとばかりにカスタマイズして出来上がったシロモノは、性能面で最新鋭の空母をもしのぎ、もはやコンピュータの域を通り越していた。
通常航行時の操行をマシンにまかせきりにして、クルーが自由に時間を使えるのは、このケルベロスのおかげである。
そんなある朝。ムサシは自室の端末にたたき起こされた。
「……どうした、ケルベロス」
まぶたをこすりながら、ディスプレイの上に浮かぶ犬の頭部(ケルベロスのキャラクター)の3D画像を見やる。
『ゆうべからヒル魔のアクセスがない』
ケルベロスはマシンの分際でクルーに敬意を払わない。常に呼び捨てでタメ口である。ヒル魔自身がそうしたのだから、多少腹立たしかろうが、もうこれは仕方が無い。
ケルベロスの言葉を理解するのに数秒かかる。やはり寝起きは回転が悪い。
やがて、やっと不審感が沸いてきた。
「いま何時だ?」
『午前11時。ほとんど昼だな』
ああ、とムサシはため息をつく。
昨日は、栗田の部屋の排水回路が調子悪いとかで、遅くまでかかってしまったから、今日はゆっくり寝ているつもりだったのだ。
「ヒル魔からアクセスがないって? いつから」
『昨日の夕飯過ぎ。21時以降ずっとだ』
ヒル魔は、実はネットジャンキーではないのかと思うぐらい、しょっちゅうコンピュータと向かい合っている。
ケルベロスを相手にしている時もあれば、いないときもあるが、とにかくなにかしらコンピュータは使っている。
それが半日以上もアクセスなしとは尋常ではない。
「生体反応は?」
『ある』
まさかな、と思いながらの問いだったが、それでも間髪いれず返ってきた答えに安心する。
『だが、自室から動いていない』
「……」
自室で動けなくなっているということか。
「わかった。俺が行く」
ヒル魔の部屋にヒル魔の許可なくして入れるのはムサシだけだ。ケルベロスでさえ、ヒル魔の部屋の鍵をあける権限を与えられていない。
各部屋には緊急時に備えて赤外線カメラが常備されているが、これもヒル魔の部屋は例外になっている。
ムサシは上着をはおり、ヒル魔の部屋へ向かう。
首だけでなく、全身の形となった犬の映像がくっついてきた。必要はないが「らしく」見せる為にトコトコと四肢を動かしている。
ヒル魔の部屋のドアについている認証装置がムサシをみとめると、スライド式のドアは静かに開いた。
ヒル魔の部屋は機長の権限でニ間をあたえられている。居間と寝室だ。
居間をぬけて寝室に入る。
部屋の中央にある革張りの椅子にこしかけるヒル魔を見つけ、ムサシは、ほっ、と肩の力をぬいた。
ヒル魔は頭部を覆うようなデザインのヘッドギアをつけ、椅子にふかくもたれていた。
眠っているのかと思ったが、頭がかすかに揺れ、わずかに手が中空をさまよっては肘掛にもどる、という動作をしている。
「なんだ? ネットゲームでもしてるんじゃないか?」
ムサシはケルベロスを見下ろす。
『いいや。俺のログには残ってない』
「だって、ヘッドギアをつけてるじゃないか」
言ってから、ムサシは内心で首をかしげた。
……そういや、ヘンだな。
ヘッドギアからはコードが伸びて天井へ消えている。ヒル魔は行動が制限されるのを嫌って、いつもは無線式のヘッドギアを使っている。
このコードがどこへ伸びているのかはしらないが、とにかくケルベロスを経由していないのは確かなようだ。
「おい、ヒル魔」
とにかくヒル魔を起こそうと、椅子の正面へ回ったところで、硬直した。
ヒル魔は普段からかなりタイトな黒のつなぎを身につけている。そのズボンの中心が隆起している。つまりは勃起していたのだ。
いや、それだけではない。色のせいでわかりにくいが、そこを中心として、ぐっしょりと濡れていた。
まさか……失禁?
そう思うが、匂いに気づいてすぐ否定した。どうも夢精のようだ。しかし、この量はただごとではない。革張りの椅子にまでひろがっている。
「……う……」
ヒル魔の頭部がゆれる。
その口元は薄く開いていて、唾液が糸を引いていた。
尋常ではない。
「オイ! ヒル魔!」
ムサシはヘッドギアに手をかけ、乱暴にそれをむしりとろうとした。
突如響いた犬の咆哮と耳を聾するばかりの警告ブザー音、部屋中が最高レベルの危機を示す赤い蛍光色に満たされなければ、そのまま続けていただろう。
だが、生命危機さえ感じるあまりの音と光に、思わず手で耳をふさいで、目を閉じた。
「なんだ?!」
警告ブザー音が止む。薄めを開けると、ムサシとヒル魔の間にケルベロスが浮かんでいた。
「今のはお前か?! ケルベロス!」
『ヘッドギアを取るな! 取ればヒル魔は一生廃人になるぞ』
「なん……だと」
『ヒル魔の頭部はヘッドギアに包まれていて、脳内がどうなってるか俺でも分からない。だが、身体は極度の性的興奮状態にある』
それは、見ればわかる。
『お前も知っているとおり、ヘッドギア装着中は脳からの信号を抑え、睡眠状態に近いレベルにまで肉体の反応を鈍くしている』
それも、知っている。ムサシはいらいらしながらケルベロスの説明を聞く。
『それでも、ヒル魔の肉体がこれだけ反応しているということは、脳内では日常レベルをはるかに超えた情報が伝達されていると判断される』
「だから?」
『その状態はおそらく12時間以上続いており、肉体は防衛のために、その信号を随時受け入れる状態に変わりつつある。それだけの強い信号が突如途絶えれば、存在してしかるべきものがなくなったのだから、今度は脳のほうで勝手につくりあげることになる』
つまり、幻肢……なくなった手足が存在するように感じる、ような状態に陥ると言うことか。
「だが、幻肢だって四六時中いつまでも続くわけじゃない」
『普通ならな』
「どういうこと」
『これが強い快感だというのが問題だ。人の脳は、好むと好まざるとに関わらず快感を求めるようにできている。幻肢よりずっと性質が悪いぞ』
「じゃあ……どうしろって言うんだ」
ケルベロスの映像の向こうでヒル魔がかすかにゆれている。今ではわかる。身悶えているのだ。
『専門家を呼べ』
カッ、とムサシの頭に血が上る。
「冗談じゃねぇぞ! この……このヒル魔を赤の他人の目にさらせってのか?!」
『……』
ケルベロスからの答えは、沈黙。つまりは肯定。
「……ヘッドギアを取らなければ、身体に触っても大丈夫だな?」
『ああ。たぶんな。……どうする気だ』
「専門家は呼ぶ。呼ぶが、その前にきれいにしてやるんだよ」
言いながらムサシはきびすを返して洗面所へむかった。
濡らしたタオルやバスローブなどを手に戻ってくると、ケルベロスは椅子の足元に寝そべっていた。
もう大丈夫と判断したのだろう、ムサシがヒル魔に近寄っても間に入るようなことはしなかった。
つなぎを脱がせる。ズボンをぬきとると、立ち上がったものが飛び出した。
ヒル魔の身体はほとんど弛緩していたが、ときおりピクリと痙攣する。開いた口元から、いつもよりは荒い呼吸。その呼吸音にまざってかすかに喘ぐ声が聞こえた。まぎれもなく、「感じて」いるのだ。
ヒル魔がのぞんでこんな状態になったとは思わない。それでも。
「お前……なにやってるんだよ」
汗と精液で濡れた身体と椅子を清めてやりながら、ムサシの口をついた言葉は泣き声のようだった。

「おう、ムサシ」
ドアをあけて、小さな年寄りがふらりと入ってきた。
一応白衣こそ着ているが、右手にトランク、左手に徳利をぶらさげた赤ら顔では到底医者には見えない。
それでも酒寄溝六は知る人ぞ知る名医なのだ。
そして、なによりこれが一番重要な点なのだが、ヒル魔とムサシの古いなじみでもあった。
「ヒル魔がおかしくなっちまったって?」
この飲んだくれを捕まえるのは並大抵のことではなかったが、ヒル魔がケルベロスに残した情報とケルベロスの操作能力をもってして居所を探り当て、あとはムサシが、ヒル魔の得体の知れないネームバリューを最大限に利用して呼びつけたのだった。
「いやぁ、しかし。あんなにワープを続けられたのは初めてだぜ」
相当無茶な航行だったようだ。できうる限り急いで、と念を押したのが功を奏したらしい。
どぶろくはややおぼつかない足取りでヒル魔の座るソファのところまで行き、おそらく無意識にだろうが、唸り声をあげた。これほどまでに無防備なヒル魔を見るのも、ヒル魔の痴態を目の当たりにするのも初めてだろう。
「……こうなってからどれぐらい経ってる」
「一日半。最初の半日が過ぎたところで、ケルベロスが気付いて俺を呼びに来た」
「そうか」
どぶろくはトランクを床においてひろげると、中から機械を取り出した。
ヘッドギアと頭部の間に、針のような細長い棒を何本も差し込んでいく。やはり専門家は専門家だ。色々道具を持ち合わせているらしい。
どぶろくが手にした液晶ディスプレイに、いくつもの波形が踊っていた。
「お前、よくこのヘッドギア取っちまわなかったな。よく考えないで取っ払っちまって、あどでドつぼにはまるケースが多いんだが」
「ケルベロスにとめられた」
ケルベロスは今もそばにいて、ムサシがそう言うとしっぽを振った。
「とらなくて正解だ」
そう応えて、どぶろくはケルベロスがムサシにしたのとほぼ同じ説明をした。
「で、先生。俺が知りたいのはそっから先の治療法なんだが」
「まあ、あせるな。まず原因を探ってからだ」
どぶろくはあいかわらず手元の画面に視線を落としている。ディスプレイにはダイヤルやボタンがいくつもついていて、しきりにそれを操作していた。
「……ムサシ、お前A10神経って知ってるか」
「快楽神経ってやつだろう?」
「そうだ。脳の中でも快感を伝達する神経で、恐ろしく長い。脳の中央から表面まで走っている。ヒル魔の脳内では今この神経が活発に働いている。とりわけ側頭葉のあたり、内窩皮質(ナイカシッカ)というところだ」
そこでチラリと、とっくりを見やる。アルコールで喉を湿らせたかったようだが、我慢したらしい。説明を続ける。
「で、この内窩皮質は、別名快感スポットといって、ここで性的快感をつかさどっている。快感が伝わるしくみは知ってるか?」
問われて、ムサシは首をひねる。分かるような気もするが、自信はない。
「快感を生み出す神経伝達物質は、ドーパミンとエンドルフィンだ。いわゆる脳内モルヒネで、通常のモルヒネより5,6倍も濃度が高い。これが分泌され神経細胞を広がっていくと快感をおぼえるわけだな。快感はかならずしも性的とは限らないから、場合によっては爽快感とか、高揚とかであらわれることもある」
そこでどぶろくは視線をあげてヒル魔を見やる。
「だが、ヒル魔の場合は性的快感をつかさどるあたりを特に刺激されているから、こうなってるわけだ。普通、神経のレセプターは過剰な情報をシャットアウトする機能を備えているもんなんだが、この神経には、それがない。生存にとってもっとも重要なはずのブレーキがかからない。だから快感を与えれば与えるほど、『感じてしまう』ということになる。中毒ってのは、そうやって起こるんだ」
「ヒル魔は中毒症状を起こしてるってことか?」
「そうだな。ましてや脳内モルヒネは、人工的な薬物よりずっと出来がいいんだ。おして知るべしだな」
ムサシは椅子の上のヒル魔に視線を向ける。ヒル魔はあいかわらず小さな痙攣を繰り返し、首をふったり、仰のいたりしている。
強い中毒の状態にあるとすれば、強制的に中断しても救えない、というのは何となく理解できた。
「……で。どうすればいい」
「それなんだがな」
どぶろくは手元の機械を操作しながらつぶやく。
「ヒル魔の脳の99%までは忘我の状態だ。快感による、な。で、残りの1%だが……」
「……」
「何かを一生懸命考えているようだ。つまり、ヒル魔自身もこの状況が腑に落ちないってワケだな」
「自分でヘッドギアを外すって可能性は?」
「ないな。1%だぞ。これだけの快感にどっぷりつかりこんでるのに、なにか思考をしよう、ってだけでも見上げた根性だ」
「……で、どうすりゃ、その1%をものにできる?」
ムサシの問いかけに、どぶろくはにやりと口角を上げる。
「ヒル魔の快感に関連性をつけてやりゃ、いいわけよ。つまりな。この快感を、お前が与えたもの、にすりかえるんだ」
「……」
「そうすりゃ、ヒル魔はお前にくっついて目を覚ます」
「もう少しわかりやすく言ってくれ」
「お前もヘッドギアをつけるんだよ、ムサシ。で、ヒル魔の脳内にちょいと飛び込んで、連れてくるって寸法だ」
そんなことが技術的に可能だということは知っている。だが、脳内に飛び込む危険性も、いやというほど喧伝されていた。自分のも、他人のも。
しかし、ムサシは迷わなかった。
「ヘッドギアは自分のでいいのか」
「ヒル魔のつけてるヤツとリンクできりゃ、なんでも問題はねえが」
ムサシは足元でまるくまっている犬に呼びかける。
「……ケルベロス?」
『できる。……と思う』
いささか自信なさげな返答だったが、これが唯一の手段だとケルベロスも理解しているようで、声に決意が感じられた。
「ケルベロス、準備を」
『アイ・サー』
珍しくきちんとした応えがあり、犬のホログラフは掻き消えた。
ムサシは自分のヘッドギアを用意すると、ヒル魔のとなりへソファを引っ張ってきて、そこへ腰掛けた。
もっとも、ムサシのヘッドギアは無線式なのだから近くに居る必要はないのだが。
ムサシがヘッドギアをかぶると、どぶろくが近づいてくる気配がして、ヘッドギアと頭部の間に細い棒が差し込まれるのを感じた。その先端が自動的に広がり、頭皮にはりついてくる。
「先生よ」
「なんだ」
声が遠くに聞こえる。
「俺が与えたもの、にすりかえるって、どうすりゃいいんだ」
ヘッドギアで鼻のあたりまで覆われてしまっているので、どぶろくの表情は皆目見えない。
「んなもの、てめぇで考えろ。サイバーダイブが初めてってお育ちでもねぇだろが」
呆れたようなどぶろくの声がした。
「先生。もうひとつ」
「なんだ」
「俺とヒル魔が、そういう関係だって、どうしてわかった?」
教えてはいないはずだ。ヒル魔もしゃべってはいないだろう。ケルベロスでもあるまい。
しばらくの沈黙のあと、聞こえよがしな長いため息。
「てめぇなあ。ムサシ。俺がヒル魔を見るたんびにすげぇツラしてたの、自覚してねぇのか?」
「あ?」
「嫉妬むきだしの顔しやがって。あれで気がつかねぇほうが阿呆だ」
「……」
「もういいか?」
わざとらしく尋ねられて、ムサシは小さく頷いた。
「よーし。んじゃ、ケルベロス。俺の言う通りに進めてくれ」
そうして、どぶろくとケルベロスが専門用語たっぷりに会話するのを聞きながら、ムサシはヘッドギアの作り出す架空の世界へ運ばれていった。

なんだ?
気がついたときは、真っ暗闇だった。
普通サイバーダイブでは、全員の意識をすり合わせるための、共通の踊り場のようなものがもうけられている。そこは自由に設定が変えられるため、酒場だったり、ホテルのロビーのようだったり様々であるが、とにかく、なんらかの意匠がこらされていた。こんな真っ暗なのは初めてだ。
「オイ、ムサシ。聞こえるか?」
声が響いた。
「なんだ、先生か。ああ、これ架空世界じゃないのか?」
「微妙なところだな。お前のヘッドギアには情報をいれてねぇから。そっから、何か見えるか?」
言われて、周囲を見回す。右手前方が明るい気がする。右手、といってもしょせん脳内のことだから、そんな気がする、というだけだが。
「あっちのほうが明るいな」
「ああ。じゃあ、そこが『ヒル魔の脳内』だ。行ってこい」
簡単に言ってくれるなぁ、と思いながら、ムサシはそちらへ向かう。
どこかに、ムサシのヘッドギアが作り出す架空世界とヒル魔の架空世界との境界があるはずだが、わからない。ケルベロスはたしかに優秀だ。
ぼんやりと明るいあたりに一歩足を踏み入れるなり、う、とうめいてムサシは立ちすくんだ。
なんだ……これは。
気がつけば、四角い部屋の中だった。問題は、その壁だ。内臓を思わせる質感をもっており、ピンク色に濡れ、しかもかすかに蠕動している。床も、天井も同じ。時折、性器を思わせるビジョンが浮かんでは消えた。小さな部屋で、生暖かい湿った空気に満たされている。
はっ、と振り返ると、確かに入ってきたはずなのに、出入り口はどこにもなかった。
室内には、誰もいない。
これが、ヒル魔の架空世界?
「……ヒル魔!」
とりあえず、と叫んでみる。すると、それに応えるように悲鳴があがった。いや、これは悲鳴というよりも嬌声だ。それもヒル魔の声で。
どういうことだ? この部屋がヒル魔そのものってことか? あいつはこんな悪趣味じゃねぇはずだが。
壁に近寄って、そっとなぜてみる。するとまた、嬌声。さっきよりも甘い。
ムサシは下腹部が反応するのを止められなかった。
また、なぜてやる。今度は、さっきよりもやさしく。ほとんど指先だけを滑らせるように。
また、声があがる。鼻に抜けるようなうめき声。撫ぜた壁面が赤に近いほど色濃くなり、じわり、と液体がにじみ出てきた。
舌を伸ばして舐めてみる。精液の味だった。ヒル魔の。
舌で濡れたところを舐めまわす。
あっ、あん、あぁ……っ
ムサシの舌の動きにつれて、淫声が部屋中にこだました。
これは俺がたまらねぇぞ。
ムサシの下腹部はすでに痛いほどはりつめている。
とにかく、この[部屋]の状態では連れて行くにも行けない。
「ヒル魔。お前としたい。……だから出てきてくれ」
壁面に息を吹きかけるように、ささやきかける。
壁面がぶるぶると震えた。
ん、ム……サシ……。
それまでよがり声を上げるばかりだった室内に、明確な声が響いた。
ヒル魔がベッドで放つ呼びかけに限りなく近かったが、とにかくムサシを認識したのだと考える。
「そうだ。俺はここにいる。お前を抱きたい」
ムサシ……ムサ……シィ……っ
分かっているのか、いないのか。呼びかけは続くものの、それ以上の返答はない。
ムサシは壁から離れる。
それを感じ取ったのか、壁面がざわざわと波打つ。
やっ、いや、だ……ムサシ……もっと……もっとぉ……!
どうやら、もともとよがっているところへムサシという異分子が入り込み、さらに快楽物質の分布に一役買ってしまっているらしい。更なる刺激を与えられて、ヒル魔はそれに飛びついたのだ。
俺が中毒症状を深めてるみたいだな。大丈夫なのか?
とはいえ、今更どうにもならない。
「壁じゃ、だめだ。ヒル魔。お前の肌が触りたい。白くて、さわり心地がいい。あんまりやるとお前は嫌がったけど、俺はいつもいつまでも触っていたかった。……わき腹のあたりが、弱いんだよなぁ? 背中も。太ももとかも」
壁にちらちらと何か人間の身体らしきものが映っている。壁はあいかわらず波打つようにうごめいて、部屋は喘ぎ声とも呼吸音ともつかぬ音で満たされている。
「お前に触って……キスしたい。口と、舌で……お前の身体中、吸って、舐めて……」
言っているうちに、息が上がってきた。ムサシも興奮しているのだ。
「お前、耳を甘噛みされるの好きだろう? 穴に舌をつっこんでくすぐってやるのも」
んん……あ……ん……
「それから……そ……!」
その時ムサシは、視界のすみに光るものをとらえた。
あわてて走りよる。その振動で、また部屋が悲鳴をあげたが、かまってはいられない。
床にぽつんと転がっているそれを、拾い上げる。
それは、ヒル魔のピアスだった。ムサシがデビルバッツ号に乗り込む記念にと、ひとつ増やした。
「ヒル魔……!」
小さな金属を掌ににぎりしめ、床にひざをつく。
そっと掌を開いて、その金の輪にむかって、呼びかけた。
「ヒル魔。ヒル……妖一……っ」
ふ、と掌からピアスが消え、ムサシの前に同じようにひざまずいたヒル魔が現れた。
いつもにもまして白い肌。耳には、片方にひとつだけピアスがはまっている。
これは、もしや俺が作り出した幻想か? もしかして、俺はヒル魔を助けるのに失敗して、すでに脳内の妄想に取り込まれてしまったのか?
目の前のヒル魔は頭から水をかぶったように濡れていた。金の髪が頬や首筋にはりついている。
なにかをこらえるかのように、小さく小さく震えている。
そして、とても頼りなげな表情をしていた。そんな表情をしたヒル魔を見るのは、生まれて初めてだった。
「ヒ……妖一……?」
そっと呼びかける。何時の間にか部屋が静かになっていた。
ヒル魔はムサシを一心にみつめている。ムサシは手をのばして、その頬にそっとふれた。
途端、
「う……ぉおっ」
頭の中で火花が散った。そう思うような強い快感がムサシを襲ったのだ。思わず手を離すと、それはおさまった。
これが……ヒル魔を捕らえていたものか。
見れば、ヒル魔はいくぶん哀しそうな顔でムサシを見ている。だが、上気した頬と、濡れてわずかに開いた唇は、ヒル魔の欲情如実に現していて、今の接触がヒル魔のほうにも快感を与えたのだと知れる。
ムサシは覚悟を固め、身につけているものを手早く脱ぎ去る。衣類は、脱ぐそばからどこかへ消えていった。
互いに一糸まとわぬ姿になると、ムサシはふたたびヒル魔に手を伸ばした。
ふれると、やはり飛び上がるほどの快感が走る。それをこらえて頬を撫ぜ、髪をかきあげる。
ヒル魔はか細く絞るように声をあげながら、うっとりと目を細める。瞳がぼんやりと焦点を失う。あえぐように口を開いた。
そこへムサシは唇を寄せる。ヒル魔が突き出してきた舌を強く吸い、唇を擦り合わせる。
ふれた手と唇から強烈な快感がなだれこんできた。
「……う……あっ」
もう限界だった。こらえる間もなく、ムサシは吐精した。
今度はムサシの内部から快感がほとばしる。それがヒル魔に伝わったのか、ヒル魔も悲鳴のような嬌声をあげた。
「妖一っ、ヨ……イチ……っ!」
普通だったら射精した後は快感がおさまる。だが、今は違った。快感はある。けれど、やがてそれすらものたりなくなり、ムサシはヒル魔を押し倒した。さらに密着する部分が増え、快感が増す。
「あああ……っ」
もはやどちらの喘ぎかもわからない。ムサシ自身声を出している自覚もなく、何かを大声でわめきながらヒル魔の身体に自分の身体をこすりつけた。ヒル魔も何か叫んでいる。
もう何も考えられない。ひたすらに快感を求める。足りない。もっと感じたい、もっと……。
上下の感覚がない。何時の間にか部屋は消え、ぼんやりと白い霧の中にふたりではげしく絡み合いながら浮かんでいた。
擦りあう互いの性器から、ほとんど透明に近い液がひっきりなしにこぼれている。
溶ける、溶ける、とヒル魔がうわごとのように叫んでいるのが聞こえた。
ああ、溶けてしまいたい。お前の中に……。
ムサシは少し身体をずらして、屹立したものをヒル魔の中にうずめた。
「ぅわ……あ、ああああ……っ!」
ヒル魔の快感がムサシの中に押し寄せた。ヒル魔にもムサシの快感が伝わっているだろう。
突き入れる快感も受け入れる快感もわかる。
ムサシは体位を変え、後背位をとる。そして前で震えるヒル魔のものに指をからめた。
あっ、あーっ!
ヒル魔が声をふりしぼる。ムサシも唸り声をあげながら、弓なりにのけぞる。
ひ……ああっ、あっ! あっ!
ムサシが手を動かす。それによる感覚がダイレクトにムサシにも伝わってくる。どこをどうしたらヒル魔が一番感じるのか。ヒル魔と感覚を共有しているムサシには、手にとるようにわかる。ヒル魔がいいと思うところ。それはつまり自分も一番感じるところだ。
遠慮なく、ムサシは快楽をむさぼった。己のものと、手と、口唇と、体中を使って。
ん、あっ! あああっ! いいっ! いい……っ!
ヒル魔も、のたうつように腰を使っている。先端から吹き出し、ムサシの手をつたってもボタボタと汁が滴り落ちる。
ムサシもヒル魔の中で精を吐きつづける。
あまりに激しい行為と快楽に、心臓が狂ったように脈打っている。体中、互いの汗でびしょびしょだった。それでも、止められない。止めることが出来ない。
やばい……か?
ミイラ取りがミイラになった。そんな言葉が朦朧とする頭をかすめたが、一瞬後には霧散した。
吐精の瞬間が延々続いているようだった。浮遊感と失墜感を同時におぼえる。身体がめちゃめちゃに揺さぶられているような。耳鳴りがする。叫ばずにいられない。目を開いていてさえ、快感がスパークして視界に星がまたたいている。
ああ……神経が焼き切れそうだ。
ふと、思う。そしてそれは正しかった。
永遠に続くかと思われた絶頂感が、ぷつりと途切れた。ヒル魔が失神したのだった。
「え〜と……」
まだじくじくと快感はくすぶっていたが、二人で感じていたときに比べたら雲泥の差だ。
放り出された格好になったムサシは、腕の中にヒル魔をかかえ、内部に自分のものをおさめたままあたりを見回した。
ヒル魔の脳内世界でヒル魔が気を失っちまったってことは……。
案の定、薄ぼんやりと白かった世界の片隅から、どんどん真っ暗になっていく。
ムサシはあわててヒル魔を抱きかかえた。
やばい。逃げねぇと。でもどこいきゃいいんだ?
ふと、ある方向から音がきこえた気がした。それは、犬の咆哮。
ケルベロス……!
ムサシは犬の鳴き声をたよりに走り出した。

ふ、と目を開けると、アップで見たくはないヒゲ面があった。
「……先生」
「おう、おかえり」
目が見える。ということは、ヘッドギアを外されているのだ。
よくよくあたりを見回せば、そこはヒル魔の部屋ですらなく、自分の部屋のベッドで横になっているのだった。
「夢オチ?」
ぼんやりそうつぶやけば、「俺がいるのにそんなわけねーだろ」と返ってきた。
それは、そうだ。
「まったく。てめぇの汁まみれの服なんざ触りたくもなかったが。治療の一環だと思って着替えさせてやったんだ。運んだのは栗田だがな」
ムサシがさっと青ざめるのを見て、ヤツらにゃなんも言ってねぇよ、とどぶろくは付け加えた。
「……先生。ヒル魔は?」
「自分の部屋にいる」
「無事なのか?」
どぶろくはニヤリと笑うと、「てめぇで確かめな」そう言って部屋を出て行った。
言われたとおり、ヒル魔の部屋にむかう。
身体はだるかったが、歩くのに支障はない。
いつものようにドアを開け、寝室をのぞくと、ヒル魔はベッドの上に半身を起こしてコンピュータ端末をいじっていた。
ツンツンに逆立てた金髪も、耳に光る金のピアスも、もういつもどおりだ。
部屋に入っていくと、ヒル魔はちらりと視線をあげて、
「迷惑かけたな」
と憮然とした口調でつぶやいた。
ムサシはそのベッドへ腰掛ける。
「ヒル魔。一体、あれはなんだったんだ?」
「……小遣いかせぎ」
「あ?」
ムサシが問い返しても、ヒル魔は黙っている。
「つまり……なにか? あれはお前が作ったってのか?」
「……」
ヒル魔は無表情を装っていたが、だんだんそれがふてくされた表情にかわっていく。
コンピュータ端末をいじってはいるが、無意味な操作を繰り返しているだけだ。
「で、自分の作ったものを試そうとおもったら、ハマっちまったワケだ?」
「……」
肯定はしないが、否定もしないということはそういうことなのだろう。
「らしくもねぇ失敗を……」
さすがにムサシも呆れてつぶやく。
昔から無茶なところのある男だったが、ここ一番は慎重だったはずだ。
弘法も筆の誤りというか、サルも木から落ちるというか。
「……」
黙ってじっとヒル魔を見つづけてやれば、しぶしぶ、といった感じで目線をあげてくる。
「この淫乱」
にやりと微笑って言ってやる。
効果はてきめんで、ヒル魔は見る間に真っ赤になって叫んだ。
「ばっ! 俺は淫乱じゃねえ! 俺が楽しむために作ったんじゃねーよ! この糞ジジイ!」
「じゃあお前、あれどうする気だ? いくらなんでもゲームとしては行きすぎなんじゃねぇのか?」
「ゲームじゃねぇから」
やっと、まともな応えがある。
「?」
「軍事用なんだよ、アレ」
「……ああ」
合点がいく。いくが、制御できないものが、はたして兵器になるのか? とも思う。
するとヒル魔は
「もう対処プログラムはできてる」
と口を開いた。
「もう、てめぇにも俺にも適用してある」
「え?」
「あんときのコト、よく思い出してみろ」
あのときって……仮想世界でのことか。
言われて、思い出してみようとするが、ぼんやりと事実関係しか思い出せない。たしかにすさまじい快楽をむさぼりつくしたはずなのに、その「事実」しか思い浮かばない。
「対処プログラムって、記憶の操作か?」
「ああ。夢で見たことが思い出せないってのはよくあるだろ。それを使った」
「そうか」
なにやらもったいない気もするが、あんな快感を鮮明に覚えていたら、絶対にまたおぼれたくなるに決まっていた。
ふ、と視線をあげると、ヒル魔のそれとかちあった。
ヒル魔の瞳が濡れたように輝いている。
「ヒル魔?」
ヒル魔は端末を脇へどけると、ムサシの首に腕をからめて口付けをねだってきた。それに応えると、どんどん激しさを増してくる。
ムサシはとまどいながら、尋ねる。
「お前、あんなにイキっぱなしだったのに、まだしたいのか?」
「……てめぇ見てたら我慢できなくなったんだよ」
「そ……」
ムサシが何か応えるより早く、ふたたび唇が塞がれた。
「……いいから、しろよ」
荒く息をつくと、ヒル魔は舌先でムサシの顎を愛撫する。
ふと、ムサシはどぶろくが言っていたことを思い出した。
『ヒル魔の快感に関連性をつけてやりゃ、いいわけよ。つまりな。この快感を、お前が与えたもの、にすりかえるんだ……』
つまりは、そういうことか?
どうもヒル魔のあずかりしらぬところでのやりとりだったため、ヒル魔はそれを消去し損ねたようだ。
ずっと同じ船の中にいるのに、俺を見るたび欲情してたらまずいよなあ?
これは、言ってやらねば。
そう思ったが、ヒル魔の長い指がムサシの股間をいたずらするのがあまりに気持ちよくて、とりあえずこれを言うのは行為の後にする。
至近距離にあるヒル魔にむかって、ふたたび「淫乱」と囁く。
今度は否定の言葉は返ってこなかったが。
「テメーのせいだ」
事情を知らないわりに、正確な応えがあったのだった。


テーマが最後になるまで出てこない; これの元ネタは、ブルー○ネットという少女漫画で、確か麻薬みたいなウォークマンが登場してたなぁ、というところから。トシがバレバレだ;;

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