『空の青さを……』
その人が去った日の彼を、わたしは知っている。
その人が去ったあとの日の彼も、わたしは知っている。
「あれ、ムサシくん?!」
早朝の校庭。高く澄んだ声が、懐かしいあだなを呼ぶのを聞いて、ムサシは作業の手をとめた。
駆け寄ってくるブレザー姿の少女の顔をみわけ、ムサシはなつかしげに微笑う。
「よお、姉崎。早いな。ひさしぶりだ」
少し息を弾ませてムサシに笑顔を向けているのは、「真のミス泥門」姉崎まもりだった。
昨年、ミス泥門コンテストが開催された。
女性蔑視だ、性差別だという批判がかまびすしいこの類のコンテストではあるが、ミスター泥門も同時開催ということで、決着した。
ただ、ミスターのほうは、コンテスト応募者もあつまらなければ、投票率も惨憺たるもので、気の毒なほどであった。
いっぽうミスのほうも、いまいち盛り上がりに欠けた。なぜなら、大本命と目されていた姉崎まもりがエントリーしなかったからである。
もっとも、本人は最後まで騒動の中心である自覚がなかった。
友人からエントリーを勧められたようであるが、委員会の多忙を理由に断っていた。つきあいはいいほうであるし、いくら優等生とはいえ祭りの雰囲気を察せないほど堅物ではないから、これは本当にそうなのだろう。
よってその後、男子生徒からは「真のミス泥門」と呼ばれるようになったのである。
本当のミス泥門がそれをどう思っているかは、ムサシも知らない。
男子らがまもりを、真のミス泥門とか、マドンナとか古風な呼び方で話題にのせるのを、ヒル魔は鼻先で一蹴した。
「あんなクソつまんねーオンナ、どこがいいんだ」
「つまらないかどうか、わからないじゃないか」
まもりの肩をもつつもりはないが、一方的な批判もどうかと思い、ムサシはとりあえず反論する。
「つまんねーに決まってる! 口をひらけば、ネクタイはどうしたとか、ピアスを外せとか、ウルセーにも程があるぜ」
「まあ、お前はなぁ……」
水と油というか、とにかくそりがあわないのだ。やることなすこと、意見も正反対。
ヒル魔はバレなければ犯罪は犯罪じゃない、という意見だし、まもりはもちろん、誰が見ていなくても法と道徳には従うべきだと主張する。
まもりもヒル魔にうっとうしがられているのは承知していて、ヒル魔を見る目はことさらに厳しい。
かといって、実力行使には及ばないヒル魔もふしぎであった。
ムサシが浮かんだ疑問をぶつけてみると、
「ワリにあわねーんだよ」とかえってきた。
「ワリにあわない」
「ああ。あいつは敵にまわすとかえってやっかいなタイプだ。味方も多いしな。無視するにかぎる」
そうはいっても腹だちはおさまらないのか、ヒル魔はかるく舌打ちした。
そんなやりとりを思い出して、ムサシはさらに笑みを深くする。
「元気そうだな、姉崎」
「うん、ムサシくんも」
よかった、というつぶやきがまもりの口からもれた。
「仕事、うまくいってる?」
「ん、まあ、ぼちぼちな」
そう、と栗色の髪をゆらしてまもりは頷いた。
「それで、今日はどうしたの?」
「ヒル魔から聞いてないのか。まあ、あいつは言うようなヤツじゃないか。今日からアメフト部の部室改装工事だぞ」
「えっ、そうなの?! いつまで?」
「1ヶ月……はほしいところだが、ヒル魔は早くすませろと言っている」
まったく、とまもりはため息をつく。
「そうか。じゃあ部室使えないのね……」
「姉崎はアメフト部になにか用だったのか?」
聞いておいてやろうか、とムサシが続けると、まもりは目を丸くした。
「ムサシくん、もしかして聞いて……ないのね。わたし、アメフト部のマネージャーになったのよ」
一瞬、ムサシは言葉を失ったほど驚いた。
「……よく思い切ったな」
あきれたような声がでた。
まもりは苦笑している。
「幼馴染の子……いっこ下なんだけど、その子がアメフト部で主務やるっていうから、一緒にね」
「ほう……」
どういういきさつか詳しいことはわからないが、よほどまもりにとっては大切な人間なのだろう。それにしても、よくヒル魔が、うんと言ったものだ。
「でもよかった」とまもりは微笑う。
「? なにが」
「ヒル魔くん、ムサシくんと連絡とってるのね」
連絡をとっている、とはいえない。少なくとも、ふつうの友達同士のようには。この工事の依頼も唐突だった。
だが、それをまもりに言うのも気が引けて、ムサシはあいまいに微笑っただけだった。
「わたし、一度教室行ってくるね」
まもりはムサシにそう断って、昇降口へむかった。
ちょうど、校門をくぐる金の髪をみつける。
「ヒル魔くん! おはよ」
片手をあげて挨拶すれば、挨拶されたヒル魔はおもしろくもなさそうに「おう」と一応口を動かした。
「今ね、ムサシくんと会ってきた。改装工事するんだって」
「ああ、俺がたのんだ」
「あ、そうだ。ヒル魔くん、言ってないでしょ。わたしがマネージャーやってるって」
「言う必要なんかねーだろ」
「わたしのことは別にいいけど。まさかセナやアイシールドさんのことも言ってないの?」
「それは言ってある」
さらり、と返ってきた言葉に、まもりはさすがにおもしろくなくて、少しだけ膨れた。
「あ、そう。ならいいの」
どうせ、わたしは言う必要の無いオンナですよ。
くるり、ときびすを返すまもりを、ヒル魔は眉をあげて見送った。
「ムサシ」
タオルを頭にまいて、工務店の人間に指示を出している男の背中によびかける。
「おう」
振り返った口元には、咥え煙草。
「姉崎に怒られなかったか? それ」
ヒル魔はたばこを指差して言った。
「姉崎の前じゃ吸ってない」
ムサシの答えに、だろうな、と笑う。
「驚いたよ。真のミス泥門が、アメフト部のマネージャーか」
「なつかしいなー、その呼び方も」
「今は言ってないのか」
「いや、言ってはいるだろうけど、だいぶ下火になったぜ」
「へえ……。お前、姉崎のことつまんねー女とか言ってたじゃねーか。よくマネージャーにしたな」
ヒル魔は眉をしかめて訂正する。
「つまんねー女じゃねえ。クソつまんねー女、だ」
はいはい、といい加減なあいづちに、ガン、とヒル魔の蹴りが飛んだ。
「……ま、能力が高ぇのは知ってたからな、ちゃんと働きゃ、いい労働力になる」
「だけ?」
「だけだ」
当然、というようにムサシを見る。
「うるさいとか、なんとかとも言ってたが。今はそんなことないのか?」
ヒル魔はひらひらと手を横に振る。
「ああ。そりゃ変わってねぇよ。うるせーうるせー。いつかヘコましてやる、あの女」
「壮絶なことになってそうだな」
ちっとも変わっていないヒル魔のまもり評に、ふたりの衝突は当然避けられていないだろうと、ムサシは思ったようだ。
「栗田にでも聞けよ」
むすり、とした表情でヒル魔はそれ以上の会話を避けた。
「ねえ、なんで? 教えてあげればいいじゃない」
まもりは当惑した表情で、ヒル魔を見る。
「どうせ、いずれはバレるんだし」
佐々木コータローという他校のキッカーの出現で、ムサシの存在は一気に部員全員に知れ渡っていた。
セナだけなら、どうということはないが、今はモン太がいる。
「どうしてもこうしてもねぇ。ぜったいあいつら余計なことやらかすからな。面倒だから、ダメだ」
ムサシの正体を口止めされて、まもりは不服そうだ。
「あ、あのね、姉崎さん……」
そばから、そっと栗田が口をはさむ。
「ムサシはほら、もう社会人だから……。仕事の邪魔になっちゃうと、まずいでしょ? セナくんたちはいい子だけど、高校生とは感覚違うから……」
「それは……そうかも、だけど」
まもりが言いよどんだところへ、ヒル魔がさらに口を開く。
「あいつは会社しょってんだ。高校の部活動まで負担させるこた、ねーだろ」
こっちの事情は、こっちの事情だ。
ヒル魔がそう言えば、栗田は少し淋しそうに、それでも頷いた。
「だいたい、てめー、なにベラベラしゃべろうとしてるんだ」
「べ……っ。別にいいでしょ、ムサシくんが誰か教えるぐらい!」
「それが余計な世話だっつってんだよ」
「そこまで内緒にしたくったっていいじゃない。なによ、秘密主義者!」
「秘密主義のどこが悪い」
「あら、自覚はあったのね」
「……テメー……」
栗田がおろおろとふたりを見比べる。
あとは、いつものパターンで、あげあしとりと皮肉の応酬。それを、栗田が必死でなだめる展開になった。
なによ。
まもりは、目に付いた道ばたの石を、小さく蹴る。
余計な世話で悪かったわね。
ムサシがいなくなった後、ヒル魔がどれだけ頑張っていたかは、知っていたから。たとえ手段はほめられたものではなかったにせよ、必死であることはなんとなくわかっていたから。
だから、立場は違えど、ムサシがまた泥門に顔を出すようになって、ヒル魔がそのかたわらで楽しそうに打ち合わせをしているのを見て、本当に嬉しくなってしまっただけ。
その嬉しさのまま、セナたちにムサシのことを話そうとしたら、あの仕打ちである。
ひどい。そりゃ、デビルバッツは3人で作った部かもしれないけど。わたしだってもう部員なのに。
ヒル魔の言い分はわかる。にしても、もうちょっと言い方というものがあるだろう。
「ああ、でも」
そういうの、考慮する人じゃないのよね……。
「試合中はあんなに細かく気のつく人なのにねー」
アメフトの試合中、ヒル魔が選手の精神状態を完璧に把握している様にはおどろかされた。
そして、鼓舞するのも上手い。
がんばれ、などとは一言もいわず、みなを元気づけていく。
アメフトに関しては、ヒル魔はまじめだ。練習は厳しいが、無茶はさせない。
なのに、キックの練習をしないのだ。キッカーもみつけてこないのだ。サッカー部の助っ人に平気でランニングバックをやらせたりしていた。
待っているのだろうに。自分だって、ムサシと会話できて嬉しいのだろうに。工事期間中、気が付くとヒル魔の姿はムサシのそばにあった。
ほほえましく思う気持ちの中に、すこしだけ、痛むものがある。
それは、気づかないフリをしたけれど。
翌朝、まもりが部室へ行くと、驚いたことにムサシが扉に背をもたれかけさせて立っていた。
「ムサシくん、どうしたの? 早いのね」
「ん、ああ」
よっこいせ、という感じで身体を起こす。
「今開けるから。おはよう、ケルベロス、ちょっと待っててね」
朝食の催促をしてさわいでいるケルベロスにも、声をかける。
「ああ、姉崎。俺のはたいした用じゃないから、こいつにエサやってくれ」
「? そう?」
それではお言葉に甘えて、と棚からドッグフードを取り出す。
「話をヒル魔から聞いてな」
唐突にムサシが切り出す。
「え?」
「口止めされたんだってな。悪いな、気ィつかわせちまって」
「いいのよ、そんなこと……え、もしかして、わざわざそれを言いに?」
「ん、ああ、まあ」
まあ、用は済んだ、と言いながら、ムサシはまだモノ言いたげにしている。
催促するものなんだか悪いと思ったまもりは、したくを続けることにする。
ドッグフードをケルベロスの食器にあけ、朝ソンソンに寄って買ってきた牛乳をたっぷりとそそいだ。
ムサシはそれをじっと見ていたが、やがて「なあ、姉崎」と重い口を開いた。
「なぁに?」
視線はむけず、やわらかく応える。
「ヒル魔は、ああいう性格だから……誤解もされてるだろうし、恨みもかってるだろうが……」
「……うん、わかってるよ。ムサシくん」
まもりが微笑うと、ムサシもほっとしたように微笑った。
「あいつはバカヤローだから、なんでもテメーでやろうとする。俺が言えた義理じゃねぇが……ヒル魔を頼むな、姉崎」
くすり、とまもりは笑う。
買い物はじゃんけん、て言うんだよ!
どうやらヒル魔にも言ってやらねばならないようだ。もちろん、セナとは違う意味で。
「あいつは、余計な世話だとか怒鳴るだろうが。なに、心配ねぇ。本当に嫌なら、言う前に力ずくで排除する」
「うん。ねえ……ムサシくん。わざわざそれを言いに来たの?」
まもりがいたずらっぽく視線をあげると、ムサシはへの字に結んだ口角をさらに下げて、ぼりぼりとタオル越しに頭をかきながら、あいさつもそこそこに部室を後にした。
ムサシは誰の目から見ても、不器用な男だ。そして、ヒル魔も肝心なところでは、実は意外と不器用な男だ。
大丈夫。大丈夫よ……。
誰に対してか分からないが、まもりはそうつぶやいた。
了
最初、ヒル&まもに入れるか、ムサヒルに入れるか迷ったのですが、さすがにこの内容をヒルまもと称するのは……ムリがあるので、こっちにしました。まも姉なんだかお母さんっぽい?(←可哀相……泣)