『ただ、想っている。』

「桶?」
唐突な注文はいつものことだが、ヒル魔の欲しがっているものがピンとこず、ムサシは聞き返した。
『ああ。桶っつーか、タライっつーか……桶、だな』
携帯のむこうから聞こえる声も、こころなしか要領を得ない。
「何に使うんだ? 用途がわかれば、用意できるかどうか分かるんだが」
すると、入部テストをするんだ、という答えが返ってきた。
ますますワケがわからないが、黙って続きを待つ。
ヒル魔が簡単に説明したところによれば、入部テストにたくさん氷を使う。その氷を入れておくための容器がほしいのだと言う。
『あと、ストーブも。電気でも石油でもハロゲンでもいい』
氷とストーブ。どんな入部テストをするのか、なんとなく想像がつく気もするが、あえてつっこまない。
「わかった。桶はステンレスでもいいんだな?」
『氷が入りゃなんでもいい』
「いつまでに準備しておけばいいんだ」
『今度の土曜』
早い。だが、わかったと応えた以上、やらねば。
「で、何時までにどこへ持っていけばいい」
だが、午後3時までに、東京タワー、と、返ってきたときは、一寸言葉がでなかった。
そういえば、慣れた慣れたと思っていても、常に予測の上をいく男だったと、ムサシは思い出した。

当日は、よく晴れていた。初夏の陽気である。
ムサシはまだ自分では運転ができないので、(もっともハンドルを握っていても違和感はないだろうが)工務店の人間にトラックを出してもらう。
泥門のカジノ設立工事にも参加していた彼は、ハンドルを握りながら「今度は何をやるんでしょうねぇ」と面白そうに笑っていた。
ムサシも、さぁ、と答えて微笑ったが、こちらは苦笑ぎみである。当事者になればなるほど笑えなくなることを、ムサシは知っている。
到着したとき、その場にいて手を振っていたのは、姉崎まもりだった。
挨拶を返しながら助手席からおりたムサシだが、まもりのかたわらにある、見慣れない機械に首をかしげる。
「これは?」
「製氷機だって。使い方も教えてもらったから、もういつでも作れるよ」
まもりはムサシらが荷台から荷物を下ろすのを手伝おうとウロウロしていたが、かえってあぶないので、どいていてもらう。
ムサシは少し離れた位置で作業を見ているまもりに、話し掛けた。
「何をするつもりか知らないが、あまり危ないことはさせないようにしてくれよ、姉崎」
「わたしがヒル魔くんを、止められると思う?」
問い返されて、ムサシはちら、と視線を投げた。
他意はなさそうだ。
「……ほかにいねぇだろう。栗田じゃムリだしな」
そうね、とまもりは頷いておいて、「ねぇ。その桶、きれいかしら」と、ふいにたずねてきた。
「……さあ、どうだろうな。多少ほこりをかぶっちゃいるだろうが」
ステンレス製の大きな桶。生け簀にでも使えそうだ。
「じゃあ、洗わなくちゃ」
「?」
「その中に入れる氷、カキ氷にして後で食べるって、ヒル魔くん言ってたから」
「……?」
どういうシチュエーションなのだろう……。
甘いものが嫌いなヒル魔がカキ氷など食べるはずはないから、栗田だろうか。
悩むムサシを置き去りにして、まもりは「スポンジとホースと、洗剤借りてくるね」と言って、アテがあるらしいいずこかへ、駆け出していった。
その後ろ姿を見ながら、姉崎もだいぶ感化されてきたな、と思う。歯止めを期待するのは難しいかもしれない。
「かき氷って……なんでしょうね、若頭」
ぽつり、と言われる。
「さあ……喰いたいか?」
相手は、だって喰うには入部テストとかに出ないとダメなんでしょ、と笑った。
ムサシは笑うに笑えなかった。

その夜。
バイクのエンジン音が徐々に近づいてきた、と思ったら、家の側でぴたりとやんだ。
まさか、と思い、外に出てみる。
案の定、そこにはヒル魔。と、数台のバイクと車。見慣れない顔だが、白い学ランの制服は、川向こうの都立賊徒学園のもの。
「よーし、降ろせ」
ヒル魔の指示が飛んでいた。その声に従って、白ランの男たちが苦い顔つきで車から荷物を運び出している。
今朝方ムサシが届けたステンレス製の桶と、現場で使っているストーブをいくつか。
ヒル魔がムサシに気づいて、手をあげた。
「おう。どこに入れときゃいいんだ?」
「届けにきてくれたのか。わざわざすまないな」
半分はヒル魔に、残りの半分はヒル魔にこき使われている賊学の生徒らに。
指でガレージを指しながら、そう言う。
無事、すべて運び込むと、「ごくろう」とうれしくもないだろうねぎらいの言葉をヒル魔からもらって、賊学の生徒たちは帰っていった。
「どうだったんだ、入部テストは」
ムサシがそう尋ねると、切れ長の目がなぜか軽くにらんできた。
「5人入った」
「ほお……」
なぜ、にらまれるのかわからない。内心とまどいながら、あいづちを打つ。
「糞デブがうるせーんだよ。テストが厳しすぎるとか、もう1回テストやろうとか」
「ああ……5人じゃなあ」
プレイする人数にも満たない。栗田の気持ちもわかる。
すると、今度ははっきりとヒル魔がにらんできた。
「もう途中で辞められるのはイヤだとかほざいてたのはあいつなんだぞ! 付き合っていられるか!」
「……」
途中で辞めた本人である自分には、返す言葉などなかった。
「入れるだけいれて、辞めたきゃどんどん辞めさせる。それでもいいと思ってたんだが」
ムサシの反応に気づかないはずはないのだが、ヒル魔は言葉を続けている。
「面接してみたら、思った以上にヘタレばっかりでな。あれじゃ使いモノになりそうもねぇ。そんなヤツに練習時間をとるのは部費と時間と労力の無駄だからな」
ムサシは黙ったまま頷いた。
「ああ、そうだ」
ふと表情を変えて、ヒル魔が言う。
「今度、ロッカールーム作るから。頼んだぞ」
「……どっかに勝ったってことだな?」
「賊学」
なるほど。それでか。ヒル魔の労働力になっていた彼らに納得する。
どういうやりとりがあったか知らないが、売り言葉に買い言葉で、まんまとハメられてしまったのだろう。この口先王に。
「忙しくなるぞ。部員も増えたし」
ヒル魔は、にやり、とムサシに微笑いかけた。

それからしばらくは、ひんぱんにヒル魔と連絡をとる日が続いた。もちろん、仕事のことで、だ。図面のやりとり、工事の見積り、工期の予定などなど、やることはたくさんある。
今度は内装ではなく、土台からの工事だから、準備も手配もそれなりにかかる。
「校内に機材とか、コンクリ車とか運びこまなきゃならねぇ。ヒル魔、許可とっておいてくれ」
『わかった』
明快な返答。明日には許可が取れているだろう。こういうときの手回しのよさと段取りの早さは、工務店の人間に見習わせたいぐらいだ。もちろん、自分にも。
社会に出ても、ヒル魔ほど仕事のできる人間はちょっといない。
ムサシが内心で嘆息して電話を切ろうとすると、『ああ、ムサシ』と呼び止められた。
「なんだ」
『作業服、用意しておいてくれ。8人分。下だけでいい』
「ああ、わかっ……8人? 9じゃないのか?」
ヒル魔から聞いていた新入部員の人数を足してみる。
『……8』
妙にひらべったいヒル魔の声に、思わず笑いがこみ上げる。
「なんだ。テメーは穿かねぇのか? 穿きたくねぇのか」
気をつけようと思ったのに、笑い混じりの声になった。
とたん、通話が切れる。
とうとうこらえきれず、ムサシは喉を鳴らして笑った。

工事が始まると、ヒル魔の命令のもと、アメフト部の部員たちが力仕事に借り出された。
素人にウロウロされるとやりにくい部分はあるが、単純労働ならまかせてもかまわない。
ヒル魔は相変わらず神出鬼没で、ムサシのそばで作業していたかと思えば、重機の操作を教わっていたりする。
かと思えば、まもりにその日のトレーニングメニューを指示したり、あるいはコンビニの袋をもってあらわれたりしていた。
「東京と神奈川の代表が決まったぞ」
さしいれ、と渡された缶コーヒーを飲んでいると、ぽつり、とそう言ってきた。
「そうか。春季大会か。神奈川は……神龍寺だろうな。東京はやっぱり王城か?」
「危ねぇところだった。決勝でワイルドガンマンズとかいうチームに途中まで負けてたんだからな」
「初めて聞く名前だな」
「WRがいいんだ。得意な攻撃パターンはショットガン。進ひとりじゃ対応できねぇだろ」
「なるほど。対王城にはいい手だな」
「で、コレだ」
ヒル魔はかたわらのコンビニの袋から1枚の紙切れを取り出す。
「パスルートか……」
受け取ったムサシの顔がほころんだ。
アメフト初心者にもわかりやすい。余分なことはいっさい省いて、パスルートに集中できるように書いてある。
「らしくなってきたな……」
微笑いながらムサシがそれを返そうとすると、ヒル魔はふい、と横を向いた。
「やる」
「……」
そういわれても、必要はない。だが、ヒル魔が作ったものを強いて返すのは、気が引けた。
折りたたんでポケットにしまう。それを、ヒル魔が目で追っていた。
その顔に、表情はない。
また、だ……。
ふと、そう思う。
気が付くと、ヒル魔はそんなふうに、格別の表情もなく自分を見ていることがあった。
何を言いたくて、何を言いたくなくて、ヒル魔はそうしているのだろう。
辞めてしまった自分を責めているのか、とも、正直思う。
だが、ヒル魔は、こんなふうに他人を責める男ではないのだ。それは、よくわかっている。
わかっているつもりだ。
ならば、これは何なのだろう。
「ヒル魔……」
なんとなく居心地の悪さを覚えて、呼んだ。
ふと、ヒル魔は視線を上げる。
「やらなきゃならねぇことは、たくさんあるんだ」
もちろん、アメフトのことだろう。それにしては、深く沈んだ声。
「……キッカーは?」
ムサシの口をついて出た言葉。
ヒル魔は黙って首を横に振った。
ムサシも黙って、視線をさげた。だから、その様子を見ていたヒル魔がどんな表情を浮かべたか、知ることはなかった。

「基礎もいいけど、早く必殺キャッチとかの練習してえなー」
というぼやきが聞こえたのは、ヒル魔とそんなやりとりをした日の放課後。
「基礎体力なんか、もうあるっつうの」
顔だけは気合いの入った3人組が、鉄パイプを運びながらそう言っているのも聞こえた。
それからほかの部員に遅れて、ヒル魔が姿をあらわした。もちろん、サボリではない。工事の件で校長と話をしていたのだとムサシに言った。
「わざわざコンクリート練ってんのかよ。基礎なんざブロック並べりゃ十分だろ」
一服しようと煙草をとりだしたムサシのかたわらで、スコップを片手に、そう言う。
どこかで聞いていたのじゃないかと思うほど、いいタイミングだった。
「基礎を手ェ抜いたら、すぐダメになる」
小柄な1年生らが、ぎくり、と身体をこわばらせるのが視界の隅に入る。
「何十年も使う建物じゃねんだぞ」
「今年の最後までは使うだろ?」
「……たりめーだ」
何かを感じたのか、少しの沈黙のあと、ヒル魔は答える。
「最後まで倒れねぇで立ってられんのは、基礎からしっかり造ったヤツだけだ」
ムサシが低く繰り返すと、ヒル魔は左右に視線を流して、得心したように軽く眉を上げた。
その後は順調だった。
グラウンドから聞こえる元気のいい声に、ムサシはひとり微笑をうかべた。

練習後。
桜庭の入院先がわかったと、喜んで飛んで帰った小さな1年生コンビとマネージャー。かったるそうに引き上げていった3人組。すきっぱらを満たすためにどたどたと去っていった師弟コンビ。母親にばれないように、と重いカバンをぶらさげてよろよろ出て行った雪光。
そして、部室にはムサシとヒル魔が残った。
「……礼を、言っておく」
ふいに、ヒル魔が言った。
「なにがだ?」
本当にとっさになんのことかわからず、ムサシは聞き返す。
ヒル魔は答えなかった。
ああ、基礎のことか。
やっと思い当たって、ムサシは納得する。
「いや、礼を言われるほどのことでもねぇしな。ただ……」
珍しく言いよどむムサシに、ヒル魔が視線を向けてくる。
「ただ、なんとなく、言ってやらなきゃと思ってな」
そんな資格はない。自分には。それはわかっている。頭では。だが。
「お前が、頑張ってるからな。ヒル魔」
「……」
ずっと、本当に、頑張ってきたのは、ヒル魔だ。それを、自分と栗田とで、ひっかきまわしてきた。
「……すまん」
ガチッ、という音がすぐそばで聞こえた。
懐かしいような、しかし、めったに聞かない音。
見ると、黒い銃口がこちらに向けられていた。
「ヒル魔……?」
顔が本気だ。
「二度とあやまるな」
「……」
「わかったか?」
怒りのこもった低い声。冗談やしゃれの余地はまったくない。
だが、ムサシは頷かなかった。
ヒル魔の顔がゆがむ。
「俺は……これじゃ、馬鹿みてぇじゃねえかよ……っ」
吐き捨てられた語尾が、不自然に震えていた。
ムサシは驚いて目を見開く。ヒル魔が、あのヒル魔が、泣くかと思った。
だが次の瞬間、ヒル魔は銃をしまい、顔をそむけた。
「……ヒル魔……」
どうしたらよいのかわからず、ムサシはうろたえたまま、相手の名を呼ぶ。
「わかってねぇ!」
突然、顔をそむけたまま、ヒル魔が叫んだ。
「テメーはぜんぜん、わかってねぇ!」
なにが、わかってないというのか。少しは説明してもらわないと、たしかにわからない。
ムサシが口を開きかけると、ヒル魔の手から何かが飛んできた。
胸にあたって床におちたそれを拾い上げる。部室の鍵。
顔を上げると、ヒル魔が出て行くところだった。
宿直室へ返しとけ、という声が聞こえた。


っていうか、続きます。もちろん。これじゃハンパすぎ!
5巻読み返してて、アレ? と思ったんですが。「棟梁が入院してなきゃもう少し早ぇんだがな」という台詞。これ、ムサシさん自分も勘定に入れてますよね。ということは、それまでは棟梁と一緒に仕事していた? だとすると、「棟梁入院」→「高校中退」ではなく。棟梁が入院したから学校を辞めて家業を継いだワケじゃなくて。学校を辞めたのは別の理由があったってコト? 考えすぎでしょうか……。
おまけに、そうなるとヒル魔さん「退院まだか」って……。ムサシが学校辞めてからも近況報告程度には連絡とりあってたってことになって……。中退してからはお互い連絡はとって「ない」という設定でSS書いてる私としては、非常にマズいんですケド。あぅ……。

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