『涙雨』


ヒル魔がムサシに捨て台詞を残して去った翌日は、幸か不幸か、本降りの雨模様だった。
夜明け前から降り続く雨に、今日は気温も低い。
工事は休み。
ヒル魔は、現場にかけられた青いビニールシートを、少しだけ立ち止まって見上げる。
ふいに、背後から声。雨音にまぎれて近づく足音に気づかなかった。
「残念だったね」
「ああ?」
まもりが、邪気のない顔で微笑っている。
「工事。1日延期になっちゃって」
「……まあ、1日ぐらい仕方ねぇだろ。今日は室内トレーニングだな」
「ムサシくんも、頑張ってたのにねぇ……」
「……」
「……」
「おい」
「なに?」
「どーいう意味だ、そりゃ」
鋭い視線をむけられて、まもりはとまどった表情を浮かべる。
「どうって……別に、言葉どおりの意味だけど」
「あいつは仕事でやってんだ。頑張るのは当然だろ」
ヒル魔が言い終わるなり、そんなことないわよ! と返ってきた。
思いがけない反論にヒル魔のほうが驚いて、目を見開く。
「そりゃあ、わたしは工事のことなんてよくわからないけど、でもムサシくんは、早く完成させようと頑張ってると思ったよ。工務店の人へ指示を出すときとか、細かいやり取りは忘れちゃったけど、聞いてると、多少のムリでも通そうってカンジだったもん」
ヒル魔くんが、1週間で建たないかとか、言ったからじゃないの? とまもりは続けた。
この女が自分たちの関係を知っているはずはない。ないが、どくり、と心臓がはねた。顔には一切出さなかったが。
「憶測ばっかりだな」
興味なさげに背を向けたヒル魔に、まもりは、そうかなぁとつぶやいた。

「ヒル魔、今日は筋トレずいぶん頑張ったねー。僕、つられちゃったよ」
トレーニングルームから部室に戻り、制服に着替えながら、栗田はやはり着替え中のヒル魔に笑いかけた。
すでに部室にいるのは栗田とヒル魔のみ。雪光は残るつもりだったらしいが、今日ぐらい大人しく帰れと、ヒル魔がトレーニングルームから蹴り出した。
「ナニ言ってやがる、この糞デブ。ふだんからやってるぞ」
返ってくる言葉は容赦がない。だが、半分は照れ隠し。栗田には、なんとなく雰囲気でわかる。長いつきあいは、伊達ではないのだ。
ふだん、早着替えのヒル魔だが、今日は人並み以下だ。腕が思うように使えていないのだろう。あきらかにオーバーワークで、けして無理をしないヒル魔には珍しい。
いまいましげに表情をゆがめながらボタンをとめている。
と、その視線が栗田へ向けられた。
「なに見てんだ」
「いや、大変そうだなーと……」
舌打ちで返される。
「ジュニアが待ってんぞ。さっさと帰れ」
細いあごをドアのほうへしゃくる。小結が先輩ふたりのやりとりを見ていた。
「あ、そうか。ゴメン、ヒル魔……じゃあ、先に帰るね」
「オウ」
このとき栗田は、ヒル魔も着替え終わったらすぐ引き上げるのだろうと思っていた。
だが、ヒル魔はひとりになると、カジノルームの椅子に腰掛け、愛用のノートパソコンを取り出した。
ここのところ遅れ気味だった事務をいっきに片付ける。
エイリアンズの情報収集は、家に戻ってネットにつないでからやることにしようと、やっと電源をおとしたときには、すでに夜の10時を過ぎていた。
一度宿直がのぞきに来た気もするが、ヒル魔が視線を投げるなりドアがしまったから、よく確認しなかった。
雨音はすこしも弱まっていない。
防水加工のカバンの底のほうへパソコンを丁寧にしまうと、鍵をぶらさげて立ち上がる。
いい感じだ。身体も頭もクタクタで。
これなら、夢も見ずに眠れるだろう。食欲はない。
ガラリ。引き戸を開けて外へ一歩踏み出そうとして、ヒル魔は身体をすくませた。
すぐ目の前に、男の姿。
「ムサシ……」
ビニール傘を片手に、いつもの恰好でたっていたのは、今一番会いたくない男だった。
「お、どかすんじゃねえよ! いるならいるって言いやがれ! だいたいテメー何しにきやがったんだ。今日は工事ねぇだろーが!」
驚きをストレートに表してしまった気恥ずかしさと、昨日の件での気まずさとで、ヒル魔は早口でまくしたてる。
ムサシは気にした様子もなく、うっそりと口を開く。
「いや、すまん、ちょうど今来たところだったから……。現場を見にな。水、入ってねぇかと」
「……夜の10時すぎにか?」
「ん、ああ。気になっちまったもんだから。まさかまだお前が残ってるとは思わなかったが」
ムサシに言葉に嘘はないだろう。どんなに遅くても、部活動は8時には終わる。それも許可がなければ、本当はダメだ。ましてや、今日は雨降りである。
部員が残っていると思うほうがおかしい。
それでも、ヒル魔にはムサシの台詞が言い訳のように聞こえた。
「で、確認できたんだろ?」
ヒル魔はとなりのほうへ視線を向ける。
「ああ。大丈夫だった。明日は昼前には晴れるつってたから、それぐれーには再開だな」
「じゃあ、もう用は済んだな。帰るぞ」
ヒル魔は電気のスイッチを切って外へ出ようとしたが、ムサシはドアのところから動かない。
「……どけよ。俺はねずみじゃねぇんだぞ」
「ヒル魔。話がある」
「明日にしろ。俺は今日は疲れてる」
「すぐ済む」
言うなり、傘をたたんでヒル魔を部屋の中へ押し込んだ。
「……おいっ」
コイツ、こんな強引だったか?
うろたえている間に、ドアが閉められた。施錠の音。
「ムサシ?」
電気はついていないが、自分の作った部屋だ、ムサシにはどこに何があるか把握済みだろう。
非常灯はあるが、かろうじてシルエットがわかる程度で、ムサシの表情まではヒル魔の視力をもってしても見て取れない。
テーブルを楯にしようとヒル魔は身体をひねったが、その腕をとられ、引き寄せられた。
「! ……離せよっ! 話があるんじゃねぇのか!」
「ああ。昨日のことだ」
つかんだ手の力とはうらはらに、落ち着いた声だった。
「考えてみたんだが……やっぱりわからなくてな」
「……」
「お前のことを考えすぎて、頭がどうにかなりそうだ」
「……フン。で?」
「お前、いまでも猥談苦手なのか?」
「! ……こっの、糞エロジジイ! 考えたってそーいうコトかよ!」
「いや、そればっかりでもないんだが」
そう答えるムサシの声が笑いを含んでいる。
ヒル魔はどなりつけてやろうと口を開きかけた。その唇を唐突にふさがれる。
「んっ……!」
頭を左右にふって逃れようとするが、空いているほうの手で後頭部を掴まれる。
煙草の味のする舌に、口内を蹂躙される。噛み付いてやるという手段は、なぜか思いつかなかった。
「や……めろって。疲れてんだよ! 離せ!」
息継ぎのためにようやく離れた隙に、そうわめく。
「疲れてなきゃヤらせてくれるのか?」
やけに落ち着いた声で問われ、ヒル魔は「んなワケねーだろが!」と怒鳴り返した。
「だろ。だから、今やる」
「ちょっ……」
冗談だろ? という前に、ふたたび口付けられた。
ヤバイ。今はヤバイ。
頭も身体もメチャクチャに疲れている。男の生理で、そういうときは簡単に反応してしまうのだ。
ヒル魔はあせって右手をつっぱったが、ぼたんをはめるのさえ苦労した腕は、つっかい棒の役割さえ果たせず。
ムサシは簡単にヒル魔の両手をひとくくりに頭上でまとめた。そのままテーブルへ押し倒す。
「ムサシっ! いい加減にしねぇと俺にも考えがあるぞ!」
ところかまわず降ってくる口付けをなんとかかわそうと身をよじりながら、ヒル魔は叫ぶ。
しかし。
「ああ、好きにしろ」
静かにそう答えられて、ヒル魔は息をのんだ。
見くびられているのか、それとも本当に覚悟を決めているのか。
その間にもムサシはヒル魔のシャツをはだけ、胸の突起をついばんでいる。
ちくちくと無精ひげが素肌にあたる。その感覚。そして煙草の匂いのむこうに、なつかしいムサシの匂い。
しっとりと汗をかいた広い背中にしがみついたことも、数え切れないほどあった。
いや、今はそんなことを思い出している場合ではない。
だが、ヒル魔の身体に火がともり始めていた。
浅く呼吸を繰り返しながら、流されてしまいそうな自らを叱咤する。
「ム、サシ。昨日の今日で、コレかよ……っ。触るなって、言っただろっ」
「だから、言っただろう? おかしくなりそうだ、って」
「なりそう、じゃなくて、もう、なってんじゃねーかよっ」
「そうかもな」
「そうかもな、じゃねえ!」
言葉の合間にも、ムサシは愛撫を休めない。
そっと、ムサシの手がヒル魔自身に触れた。そこはもうとっくに反応していて、じたばたともがいていたヒル魔は、とたん、身体から力を抜いた。
「ヒル魔……」
「勘違いすんな、生理的反応ってヤツだ」
「まあ、それでもいいが……」
「よくねぇって」
もう、やだ、こいつ。
暗闇の中、ヒル魔は目を閉じる。
と、手の戒めがとかれた、と思うなり、腰をかかえあげられる。あっという間に、ムサシの左手がヒル魔のウエストからズボンの中へ入り込んできた。
双丘を割ってきた太い指に、かつて相手を受け入れたところを強く押されて、ヒル魔は高く声を上げる。
中に入りこそしなかったが、周辺をマッサージでもするかのように揉まれて、ヒル魔は急速に追い上げられていった。
「それ、駄目……だ、ムサシ……っ」
当然、やめる気配はない。どころか、前も開けられ、直接刺激される。
自由になった手でムサシの頭を押すが、効き目はない。
それでも邪魔だったのだろう、ムサシは上半身を倒して、ヒル魔におおいかぶさるようにしてきた。
ついでのように、そこかしこにキスをする。
ヒル魔はそれでも、ムサシのタンクトップをひっぱり、相手の肩に爪をたてて抵抗しようとしたが、きちんと手入れされたそれでは、たいしたダメージにならない。
殴ってやろうと相手の肩に掌を置いて、やっとその冷たさに気が付いた。
こいつ、まさか……。
そういえば、一番最初に振ってきた唇もずいぶん冷たかった気がする。いきなりキスされた衝撃で考えが及ばなかった。
ムサシの身体に腕を回す。やはり、たくましい身体は冷え切っていた。
馬鹿……。
唐突に抵抗をやめたヒル魔を不審に思ったのか、ムサシの手が一瞬とまる。だが、すぐに行為を再開した。
疲れきった身体に、久しぶりの行為。しかも前後に与えられる感覚。
高い呻き声をあげながら、あっけなく、ヒル魔は果てた。
そのまましばらく身体を痙攣させる。
一方、ムサシはまだだった。当然、このまま貫かれる事をヒル魔は覚悟したが、ムサシは動かなかった。
するり、とムサシの身体が離れていく。ヒル魔は内心驚きながらも少しだけ安堵して、身体を起こした。
けど、ホントにコイツ、なにしに来たんだよ。
ヒル魔はすばやく手を伸ばすとムサシのズボンをつかんだ。
そのまま、ムサシの前にしゃがみ、ズボンのチャックを下ろして硬くなっているものを取り出す。
しゃがみこんだヒル魔が何をするつもりなのかに気づいて、ムサシは反射的に腰を引こうとした。それより一瞬早く、ヒル魔は口に含む。
一旦離して、下から上へと小刻みに掃き上げるようにする。幹の部分を手でこすりながら先端を吸い上げ、舌先を尖らせてくすぐると、ムサシの腰が震えだした。
激しく舌を使いながら、ヒル魔は眉をしかめる。どうせ、暗くて見えはしないのだ。
様子を見にきたというのは本当だろう。昨日のことを考えていたというのも。そこへ思いがけずヒル魔が部室にいたものだから、声をかけることも、そのまま回れ右して帰ることもできなくなってしまったに違いない。
かつて、自分を高みへつれていってくれたもの。それに、丁寧に舌を這わせる。
本当は、嫌じゃない。嫌なのは、こうして流されてしまうこと。本当は、今すぐにでも抱いてほしい。我慢しているのはムサシだけではないのだ。
やがて、ムサシは低い声で警告すると、達した。

「……部室に洗面台があってよかったなー」
手を洗い、口をすすぎながらヒル魔が言う。むろん、自分の吐き出したものもきれいにした。当然のようにムサシより先だった。声がかすれたが、ムサシはなにも言わなかった。
「ほい、鍵」
きれいにし終わるや、軽い音をさせて鍵をテーブルに置くと、ヒル魔はさっさとカバンを担ぎ上げた。
「……今日も俺が閉めるのか」
「待っててやる気なんかねぇよ」
「ちょっと待て、ヒル魔」
「断る」
自分の手がまだ汚れているからだろう、ムサシは手をのばしかけたようだが、触れてはこない。
「ああ、そうだ」
ヒル魔は前を向いたまま、言葉を続ける。
「その辺に置いてあるヤツ、着てってもいいぞ。ただし洗って返せよ。糞マネがうるせーから」
傘を広げ、雨の中へ歩み出す。
ムサシもそれ以上とめなかった。
後ろであの男がどんな表情をしているのか、振り返って見たかった。けれど。それはできない。少なくとも、今は。
ふたりの間に、言いたくても言えない言葉が、いくつも転がっている。ムサシのも、そして自分のも。いくら身体を繋いでもあがなえない、そういう言葉の数々。
それはムサシもわかっているはずだ。そう信じたい。
だからこそ、冷たい雨の中たたずんでいたのだと。
機会ならいくらでもやるから。だから。秋までに、たどり着いてくれ。
ムサシ。


え〜……。今、このエロの必要性の有無について考えてるんですがね(今かよ……)。ヒル魔さん本当は、最後まで拒絶するハズだったんですが、途中でほだされちゃって、こっちの予定も大幅に狂ってますデスよ。どうしよう……。
「秋まで」と言ってますが、そんなにかかりません。ブラックコーヒーの前までには決着します。キックティー使いたいけど、絶対原作で使うだろうからなぁ……。
「俺はねずみじゃねぇんだぞ」←この台詞は某有名少女漫画からお借りしておりますv ごくごくたまーに、イメージがタブる……んですけど。気のせい?

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