「なんとなく、な気配」
「きやり、ってなんですか?」
練習も工事も、今日は終わり。
帰宅直前の部室(カジノルーム)で、ヒル魔との打ち合わせのためにひとり残ったのだろう大工の若頭と、ヒル魔の会話がふとそれて、世間話になっていた。
部外者なのに妙に違和感を感じないのは、おそらくヒル魔がずっと話し相手をしているからだろう。
ヒル魔と大工の会話に聞きなれぬ言葉が出てきて、セナはどちらにともなく問い掛けた。
ヒル魔は「木遣りもしらねぇのか」と視線を向けてくる。
話の腰を折ってしまったことは怒ってないようだ。
「もともとは、労働の唄だな。木を運ぶときや、網を引くときの掛け声を唄にしたヤツで。今はとび職の専売みたいになってるが……。長野五輪の開会式、見てねぇか?」
「おぼえてないです……」
もともとスポーツには大して興味がない。ましてや、開会式など10歳ぐらいだった自分では退屈で見ていられなかっただろう。
というか、ひとつ違いの(はず)のヒル魔が覚えているというのが、すごい。
もしかしたら、後からビデオで見たのかもしれないが。
「大工さんの唄なんスよね?」
モン太が口を挟む。
「……まあな」
それ以上の説明が面倒になってしまったのか、ヒル魔はそう答えた。さっき、何か違う事を言っていた気もするのだが。
「で?」とヒル魔。
「で。その建て前の日にな、祝いに木遣りを歌ってくれと言われたんだが」
「歌ったのか?」
問い返しながらも、今にも吹き出しそうな顔でヒル魔は聞いている。
セナは「建て前」ってなんだろう……と小首を傾げるが、会話は進んでしまっている。
「いや、さすがになぁ。オヤジならなんとかなるだろうが、俺じゃそこまでは……」
「じゃあ、次の機会までに覚えとかねーとなあ」
にやにや笑いながら言うヒル魔に、大工の頷きはなぜか重い。
「木遣りって難しいんですか?」
セナの問いに、「さあな。難しいんだろ」と完全に他人事の口調でヒル魔が応える。
ドアのところにもたれて、明らかに困った表情で首筋あたりをなでていた大工が、「俺は歌は苦手なんだよ」と低くつぶやいた。
なるほど。どうりで、ヒル魔がうれしそうなはずである。
セナはいささか同情をこめて大工を見た。
ヒル魔が口を開く。
「練習あるのみだな。ああ、そうだ。ロッカールームが完成したら、練習の成果を披露してもらうとするか」
その表情が、面白がっている。
「ああ! いいっスね、ソレ!」
すぐ賛同したのは、モン太。だが。
「ばぁか。冗談だ」
ヒル魔に軽くいなされて、不服そうな声を上げた。派手なことが好きだから、たぶん深いイミはなくて、騒ぎたいだけだろう。
「かわりにくす玉作ってやるよ」
そのあたりをすっかり見抜いているらしいヒル魔が、言う。
「ホントっすか?! でかいのがいいっスね!」
あっさり興味はくす玉へ移ったようだ。単純なものだ。
「じゃあな」
大工が、ドアから身体を起こした。
「おう、明日な」
そう応えるヒル魔の手は、すでにパソコンにかかっている。
てっきりそのまま出て行くのだと思っていたが、大工はふと、セナを振り返った。
「建て前ってのは、棟上式のことだ。棟上式、知ってるか?」
気がつかれていたのだと知って、セナは少しあわてる。
「あ、なんとなく。家を建てるときの、儀式ですよね」
「儀式というか、お祝いだな。まあ、施主が梁に札を貼ったりするんだが。近所の人間や子供を集めて、家の上から菓子を撒いたり、餅を撒いたりもする。あとは、工事関係者の宴会だ。ただ、地鎮祭と違って、棟上式は、今どきはやらねぇほうが多い」
「面倒だしな。近所ったって、集まってきやしねぇよ。子供もな」
ヒル魔が口を挟む。
そうだな、と大工は頷いた。
たしかに、セナの家の近所でも家はよく建てられているが、そんな光景にでくわしたことはない。子供の頃から一度も。
すたれつつある風習なのだろう。
「にしても、てめぇら。日本人なら、言葉ぐらいは覚えとけ」
ヒル魔の声が飛んだ。
ごもっとも。
セナとモン太はそろって神妙に頷く。
大工はかすかに苦笑したようだ。と、ふと声を落として、言う。
「坊主ども。知らなくても気にしなくていいぞ。ヒル魔だって、ちょっと前までは木遣りも建て前も知らなかったんだからな」
いくら低声といっても、耳のいいヒル魔に、この距離で聞こえないはずはない。
「この糞ジジイ! 余計なこと吹き込んでんじゃねー! さっさと帰れ!」
セナがなにかリアクションするよりも早く、ヒル魔の罵声が飛んだ。
「なぁんだ。じゃ、ヒル魔さんも大工のおっちゃんに教わったんスね?」
モン太がヒル魔を振り返る。
しかし、ヒル魔はなぜか苦虫を噛み潰したような顔で「いや」と応えた。
ヒル魔の不興をかったと思ってか、モン太は表情をこわばらせる。
「……さ、帰るか」
大工はなにやらそそくさと、ドアをあけた。
「馬鹿」とヒル魔がその背中に毒づいた。
モン太とセナはただ、顔を見合わせるばかりである。
質問できる雰囲気ではないが、たぶんかつて、「教える」「教えない」というようなことで、ふたりの間になにかあったのだろう。なんとなく、の推測である。
そして、ヒル魔と大工の思いがけず親しげなやりとりに、セナは少しだけ、ショックを受けていた。
「なんでだろ……」
ふと漏れた、小さなつぶやき。モン太が、なにが? と聞いてくる。
だが、セナは微笑して首を横に振った。
もういつもと変わりなくキーを叩いている、恐い……だがそれだけではない先輩を、こっそり盗み見ながら。
了
一回データ消去しちゃって、半泣きでした。
ムサヒル←セナのような。最後に余計なものが……ああ。
部室でいちゃいちゃするムサヒル。本人らにそのつもりがなくても、充分そう見える。と、思うんですが……ダメ?
単発です。どことも繋がってないですし、続き物にするつもりも(今のところ)ありません。
木遣りは正しくは「歌う」ではなく「鳴く」のだそうです。