『歩き続ける』−2
「働いてっか、糞ジジイ」
ふいに背後から声。
夕べの今日である。
図面を広げていたムサシは、かすかに背中をこわばらせる。
できるだけゆっくりと、なにげない動作で振り返り、ああ、と低く応えた。
ヒル魔がまっすぐムサシを見ていた。
まともにその視線を受け止めて、内心うろたえる。
ヒル魔の視線が、ほんのわずか、とがめるように鋭くなった。
それは、昨日の自分の行為を責めているのではなく、今この場でひるみを見せたムサシの内心を、叱咤するもの。
たしかに、まわり中に工務店の人間や、アメフト部員がウロウロしているなかで、昨日までと違った様子を見せれば、不信がられるのは確実である。
ムサシは意識して肩を張り、口をへの字に曲げた。いつものガテン親父の顔だ。
ヒル魔の口角が、上がった。
「……ずいぶん形になってきた。あとちょっとだ」
ムサシは再び図面に視線を落として言う。
「そうか。んじゃ、そろそろ打ち上げの準備すっか」
「打ち上げ?」
パーティでもやろうというのだろうか。
「たいしたことじゃねぇよ。クスだま吊るすだけだ」
そのクス玉を誰に準備させるつもりかは知らないが。
「まぁ……好きにしろ」
そう答えるしかない。
ヒル魔はいつもと変わらない。
1年前とも。昨日のことがあっても。
「なあ、ヒル魔……」
ムサシは視線を上げずに言う。
「あん?」
ヒル魔は、着替えにむかう様子もなく、その場に立っている。
「お前、今の俺は、どうだ?」
沈黙。
夕べの今日である。さまざまな可能性がヒル魔の頭をめぐっていることだろう。
「俺は、大工はゴメンだ」
しばらくして、そう返ってきた。
「そうか、ゴメンか」
「ああ、ゴメンだ」
そうして、また、少しの沈黙。ヒル魔の言葉に傷ついたりはしなかった。
言いたいことはある。あるはずだが、口下手が災いして上手く言葉にならない。
ヒル魔が余計な気を回さないうちに、とムサシはとにかく口を開く。
「だがなぁ。今の俺は、大工だ」
出てきたのは、そんな言葉。
「……知ってる。糞ジジィ」
何を言いたいのかと、問いただす言葉は無かった。
立ち去る気配も無い。
ムサシが顔を上げると、ヒル魔の視線とぶつかった。
格別の表情は無い顔。
何を考えているのか読めない顔。けれど、一度としてきっぱりとムサシを拒絶することはなかった顔。
今も、おそらくヒル魔はムサシの言葉を待っている。ご免だと言いながら。
昔からそうだった。
肝心なところでは回りくどい手を使うヤツだった。
踏み込んでくるかと思えば、ヘンなところで遠慮し、手の内をさらすそぶりを見せながら、決定打を下さない。
それを狡猾だと思う気持ちは無かった。もし、それを言葉であらわすとするならば、「狡猾」ではなく「臆病」と呼ぶべきものだったから。
だからずいぶん長い間、何度も身体を重ねながらも、ムサシはその行為が「愛」と呼べるものから出ているのかどうか、判断に苦しんだものだった。
その手の感情に敏いほうではないという自覚もあったから、なおさら。
なあ、ヒル魔。お前、俺のこと、どう思ってる? 好きか?
何気ない軽口を装いながら、その実、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、そう尋ねたときのことを思い出す。
その時ヒル魔は、なにを言っているんだ、という顔でムサシを見返しながら、「あたりまえだろ」と応えた。
そうか。好きか。
思わず緩んだムサシの口元を見た途端、ヒル魔は、ぱっ、と顔をそらせた。
でもな。お前の耳はでかいからな。
後ろからでも、赤くなってるのが、すぐわかった。
そうしてムサシは、心底、この存在が愛おしいと思ったのだ。
自分は、ヒル魔に触れる資格がないと思っていた。
ヒル魔が自分に望むことはわかっているつもりでいた。
背番号11の、キッカー。赤を貴重にしたユニフォームに身を包んだ、自称60ヤードマグナム。
今の自分からはかけ離れているとさえ思えるその姿に、あきらめのよい振りをして目をそらせた。
それとともに、ヒル魔との関係は終わりを告げた。
キッカーでなくなってもヒル魔とかかわりを持つことができるという選択肢は、自分の中には無かった。
ヒル魔のなかにもないものだと思っていた。
けれど。もしかしたら。
違うのかもしれない。
いや、それどころか、とても傲慢で自分勝手な考えだったのかもしれない。
ムサシは背筋を伸ばすフリをして、空を仰いだ。
「いい天気だな……」
ぼそり、と言えば、わざとらしい溜息が聞こえた。
「じじむさくなるのは顔だけにしておけ」
そんな台詞が聞こえて、足音が遠ざかっていった。
ヒル魔の言ったクス玉は、完成日の朝に届けられた。
前日、ヒル魔から電話がかかってきた。クレーン車を用意しておけ、と。
言われたとおり、当日ムサシはクレーン車を手配していった。
そして今、ヒル魔は嬉々として大きなクスだまをクレーン車の先に取り付けている。ほかの部員はまだ、資材や道具にまみれて、後片付けの最中だ。
ヒル魔を手伝うために、ムサシは歩み寄った。
クス玉は成人男性がやっと腕を回せるほどの大きさで、ヒル魔ひとりでは手に余るだろうと思ったからだ。
「……ヒル魔、これ紐がねぇじゃねぇか。どうやって割るんだ」
ヒル魔は、にやりと口角を上げてムサシを見る。
「紐なんざつけてたって、どうせとどかねぇだろ。なんのためのクレーンだ」
「じゃあ、どうするんだ」
「テメー、すっかりカンが鈍ったな」
そう言いながら、壁にたてかけたライフルを指差す。
「なるほど……」
ガンマニアというのか、ヒル魔の銃火器好きは、相当なものだ。
「ビッグマグナムが恋しいのはわかるが、たいがいにしとけ」
低く、ヒル魔にだけ聞こえるように言うと、すごい形相で睨んできた。
「関係ねえ。ホントにテメー、エロジイイだよな。拍車かかってんぞ」
「俺は早撃ちじゃねぇぞ」
ヒル魔はさらに目つきをきつくしたが、反論はなかった。やがて、諦めたように作業を再開する。
納得したのではなく、その手の会話が苦手だから。
どんなに下品で、そのものズバリの英単語も平気で口にするのに、ムサシとの猥談は成り立たない。
昔からそうだった。
正直に言えば、ムサシも猥談は苦手だ。だが、相手がヒル魔なら別である。激情家にみえて、実はかなりポーカーフェイスなヒル魔の見せる隙が、見たかった。
「欲張りなんだろうな」
独り言のように呟く。
思わず作業の手を止めたヒル魔が、「俺がか?!」と聞いてきた。
ムサシは苦笑に近い笑みを浮かべる。
「……お前もバカヤローだが、俺も相当馬鹿だな」
ヒル魔は一瞬だけまじめな顔をし、次にニヤニヤと笑いながら、前半は納得できねぇが、後半はそのとおりだ、と応えた。
俺は、お前に甘えすぎてた。
頭が良くて、勘が鋭くて、相手の表情を読むのに長けていて。だから、俺のコトなんかお見通しだろうと、勝手に考えていた。
自己憐憫と、自己欺瞞と。
ヒル魔のことを考えているといいながら、想っているフリをして、想いを無視した。
なぁ、ヒル魔。
今の俺でも、共に夢見ることを、もしお前が許してくれるなら。
今は今のままでも、もしかしたら、いずれ……と。
「……完成だな」
クス玉をセットし終え、クレーンを上げるよう頼んで、その場を離れる。
「ああ、やっとだな」
ヒル魔がライフルの調子を確かめながら応えた。
その背中へ言ってみる。
「次の工事が、楽しみだ」
はじかれたように、ヒル魔が振り返った。
目を丸くしてムサシを見る様は、びっくりした猫のようで。
可愛い。そう思うが、言わないでおく。
「……楽しみだ」
ゆっくりと繰り返すと、薄い唇の両端がつり上がった。
いつもの笑み。けれど、とても嬉しそうに、ヒル魔は微笑った。
それから数刻後。
Ya―Ha―という雄叫びと銃声が、無事、グラウンドに轟いた。
了
このシリーズ(笑……えない)は、とりあえずここまで。
「歩き続ける 1」で言ったとおり、なんとかなったかどうかは微妙ですが、かなり書き足しはしました。
最初はモノローグのところしかなかったので。(しかももっと長かった。)読み返してかなり恥ずかしかったです。
ブラックコーヒーまで届かなかったのは完全に目算違いです。
悔しいのでブラックコーヒーのあたりも書きます。まだアイデアは影も形もアリマセンが。でもこれよりはラブラブな感じになるはず。だって原作があれですからねえ……。
ムサシ、アメリカまで来てくれないでしょうか。とりあえず叫ばせてください。
ムサシ! カァームバーック!!!
ご清聴ありがとうございました(笑)