『Good Night』−Side H


携帯を渡したのは、けっしてそんなつもりではなかった。
これは、誓ってそう言える。
だが、携帯を通じて聞こえてくるムサシの声に、身体が熱を持っていくのをヒル魔は自覚していた。
『思い出そうとしてみたんだが……お前のことまで思い浮かんじまってな』
どきりとした。
ムサシはそんなヒル魔の反応には気付かないのか、言葉を続ける。
『そうすると、まあ、なんだ。反応しちまうんでな』
そもそも、いったん切った電話をかけなおしてまで、する会話だろうか、これが。
ヒル魔はつとめて客観的になろうとしたが、無駄な努力だった。
「……俺の?」
しぼりだした声は、小さくて、震えてもいるようで、途端、ヒル魔は情けないような気になる。
『ああ。あんときのお前の顔とか、手とか……』
あのときの自分が、ムサシの目にどんなふうに映っていたか、考えるだけで腹立たしくなる。ムサシからの誘いはありえないとわかっていたから、もとから誘うつもりだったし、誘った。それはわかっている。けれど。成功、したのか? 成功したと言えるのか。
「俺も……覚えてる」
本当のところ、あのときのムサシの声や肌を思い出しておのれを慰めた夜は、一度ならずあったのだ。言えはしないが。
『だろうなぁ。お前の方が記憶力はいいんだしな』
はは、と携帯から低い笑い声が聞こえる。
耳もとの低い声。あの時を思い出させる。行為に溺れそうになったのはヒル魔のほうだった。ムサシに抱きすくめられて、我を忘れた。こんなことは物心ついてから初めてだ。
だが、妙な敗北感とともに、心の隅が高揚していく。
思いついたことを実行に移すのにためらいは無かった。
「……今、は?」
探るような、期待をもたせるような、甘えているような……声。自分にこんな声が出せるとは思わなかった。
『ああ、今は……』
鈍い。ヒル魔は思わず舌打ちしそうになり、かろうじて思いとどまる。なぜなら、ムサシの声が不自然な途切れ方をしたのに気がついたからだ。
いける。
吐息を、ひとつ。
「俺は……ヤバい。……ムサシ……」
沈黙があった。
ムサシの狼狽を思う。だが、引き返したくない。
ヒル魔もじっと沈黙で応える。
やがて、自分の名が呼ばれた。その声の色にヒル魔は確信を持つ。
「ムサシ……電話、このままで……」
ヒル魔は椅子から立ち上がり、ベッドに横たわる。
勢いよくではなかったが、ベッドはうまい具合にスプリングをきしませた。
少し携帯を離した状態でシャツを脱ぎ捨て、ズボンの前をくつろげる。
頭をもたげたものが飛び出してきた。
さっきから窮屈でしかたなかったのだ。
ヒル魔はふだんから細身の洋服を好んで着るが、こういうときは不便だ。
こちらの様子は聞こえているはずだ。そのように、携帯を持ち直している。
「……ムサシ」
ヒル魔はふたたび携帯を耳にあてがう。
「……お前の、どうなってる」
しかし、ムサシは煮え切らない返事をした。
中学生なのだ。辞書でそういう文字を見ただけで興奮できる年頃である。
この状態でなんともないはずはない。
「たってる、か?」
ずばり、とヒル魔がきりこめば、ああ、とあきらめたような溜め息混じりの答えがあった。
ヒル魔は少し、口角を上げる。
「そ、か。……俺の、も……ってる」
ヒル魔は己のものをさすり上げた。
とたん、背筋を駆け抜けた感覚に小さくのけぞる。
一瞬、詰めた息を、大きく吐き出して目を閉じた。
大丈夫。ムサシは切らない。きっと、切らない……。
やがて、かすれた声が機械から聞こえてきた。
『……ヒル魔、お前の手を思い出すな。お前の指……細くて、長くて……』
ヒル魔の好きな声が、そう語っていた。
同い年とは思えないほど低くて、がらりとした、錆のきいた声。
「もっと……」
もっと聞きたい。すらり、と言葉が出た。
欲しい、と言っているも同然の台詞に、少しだけ頬が熱くなる。電話なのが救いだ。
『どんな風に、動いてるんだ?』
今、お前の右手は。
続けられた言葉に、ヒル魔は思わず「馬鹿っ」と叫ぶ。
そんな恥ずかしいこと、よく聞いてこられる。
しかしムサシは、たとえば、と続ける。
ムサシが言うとおりの場所をなぞる。ムサシのごつい手とは似ても似つかない自分の指。
けれど、まるでムサシにしてもらっているようで、ヒル魔は声を抑えられなくなる。
ヒル魔は自分がそうしてほしいと思うところを、口にする。
ムサシの手。労働で硬くなり、血豆をこしらえたり爪を割ったりして、おせじにもきれいとは言えない傷の絶えない手。QBだからと大切にしている自分の手とは正反対だ。
あのとき。体育館用具室で自分の背中に回された、指の強さを思う。
ムサシのせっぱつまった声が、そろそろイキそうだ、と言っていた。
「俺も……」
もっと。ムサシ……。
低い唸り声が聞こえた。
同時にヒル魔も、頂点を迎えていた。
「あ、いく……っ」
ムサシ、というつぶやきは、かろうじて口の中に押し込めた。
ベッドに力の抜けた身体を横たえると、携帯からやけに抜けた声が聞こえた。
『すまん、ヒル魔』
「なにが」
『この携帯、お前のだった』
反射的に、通話を断ち切った。
「馬鹿っ」
そして切れた携帯に毒づいた。
「余韻にひたるぐらいさせやがれ……馬鹿」
これは本当に、性欲処理ぐらいにしか思われてないかもしれない。
ムサシに駆け引きなど期待するだけ無駄なのは承知しているつもりだ。が、ヒル魔にもプライドはある。それも、かなり高いのが。
これ以上、俺にどうろってんだ、ムサシ……。
ヒル魔は疲ればかりが沸き起こる身体をうつ伏せて、枕に向かって溜め息をついた。


ヒル魔さん、がんばって〜。(←他人事のように……)
てか、ちゃんと電話かけなおしてきてくれたじゃん、大丈夫v 大丈夫v

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